海外に学ぶ「主権者教育」とは~ドイツ~

ナチスへの反省から生まれた「連邦政治教育センター」

主権者教育について、海外の事例をレビューする2回目は、ドイツです。

私は、2014年9月に、現在副代表理事を務めているNPO法人Rightsによる「スタディツアー」として、ドイツでの調査に参加し、主権者教育の最前線を見てきました。

ここでは、共著者として執筆した「報告書」の中から、幾つかご紹介します。

政治教育センター3

ドイツの主権者教育は、政治に関する実際的知識を学ぶという色彩が強く、「政治教育」と呼ばれる方が一般的のようです。

その背景には、ワイマール憲法という民主的な体制からナチズムが生まれたという実体験があり、政治教育は「戦後民主主義を守り、改善していかなければならない」という強い規範があります。

そのため、戦後のドイツの主権者教育は「反ナチス・コンセンサス」と「反共産主義(ソ連と東ドイツへの対抗)」を前提として、西側の民主主義の価値や仕組みを守るために進められています。

そして、1964年に連邦内務省に、主権者教育を担う「連邦政治教育センター」が設立され、その後は各州レベルでも作られているのです。

センターの役割は、所管官庁である内務省によって以下の3つに定められています。

①市民に対して政治とは何かを伝える
②市民に民主主義を促す
③市民に政治参加することや参加することへの興味を促す

センターの運営にとって重要な問題は、特定の政党に偏らない政治的中立性の担保です。

そのために、センターには「監査委員会」が設置されています。監査委員会にはドイツにおける全ての政党から22名の議員が参加しており、センターの活動内容を監査します。

この監査委員会が発足する前段階では、ドイツの3大政党(CDU、SPD、FDP)の各党員がセンターの代表を同時に担う「三代表制」を採用し、政治的中立性を担保しようと試みていました。

しかし、現実的には、3名の代表それぞれが大政党を背負っているため、政治的思惑を排除することができず、合意形成に時間が掛かる等の弊害が生じてしまいました。

この事態を受け、政党間の対立がセンターに持ち込まれないようにするため「三代表制」を廃止し、代表を1名にした上で、全政党から構成される監査委員会の仕組みを採用することにしたのです。

政治教育の人気教材NO.1は「授業における決断」

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さて、連邦政治教育センターの理念には、「寛容性」と「多元主義」が決められており、この2つに基づいて刊行物を発行する等の活動を展開しています。

刊行物には、もちろん政治教育のための「教材」もあり、その中で最も人気があるのは、「授業における決断」というワークシートとDVDが付属している冊子です。

DVDには幾つかのテーマが入っているが、どのテーマを扱う場合も、「(DVDに出てくる)主人公が身近な社会で問題に直面しており、それにどう対処していくべきなのかという決断のあり方について考える」というものです。

例えば、主人公の近くに極右的思想を持った人がいた場合、その人に対して「極右思想は望ましくない」と言うべきなのか、それとも見て見ぬふりをするべきなのか、主人公を生徒自身に置き換えて、どのような「決断」をするのが良いのかについて考えさせる教材、というわけです。

主人公の人物像は「どこにでもいそうな若者」として設定されており、生徒たちが自分を重ね合せることで、「当事者」として問題を考えやすいように工夫されています。

このDVDは問題を提示した場面で終わっており、続いてクラスでディスカッションをするように促されます。

もちろん、センターが提供するのはあくまでも教材のみで、教員がその教材をどのように使い、実際の授業で生徒がどのような決断をするのかには、センターが関与することはありません。

政治教育の原則「ボイテルスバッハ・コンセンサス」

(2014年)ドイツ連邦政治教育センター

こうした教材を使うドイツには、政治教育を実施する上で守らなければならない原則が存在します。

それが、1976年に合意された「ボイテルスバッハ・コンセンサス」というもので、以下の3カ条です。

①教員は生徒の期待される見解を持って圧倒し、生徒が自らの判断を獲得するのを妨げてはならない。
②学問と政治の世界において論争があることは、授業の中でも論争があるものとして扱わなければならない。
③生徒が自らの関心・利害に基づいて効果的に政治に参加できるよう、必要な能力の獲得が促されなければならない。

一方で、ベルリンの学習指導要領には、上記のボイテルスバッハ・コンセンサスを踏まえた上で、自らの意見を表明することができる旨を明記しています。

特定の政治問題に対して教員が自分の意見を表明しなければ、生徒に対して自分の意見を持つように促すことは難しいという現実があります。

教員が自分の意見を持たなければ、生徒にとって悪いお手本を見せることにもなることから、必要に応じて意見表明が認められています。

ただし、教員が意見を言う際には、もちろん他の色々な意見があるということを伝えなければなりません。

以上のように、ドイツでは、政治的中立性を担保したうえで、生徒も教員も、自分の意見を持ちつつも、他の意見にも論理があることを認め、それを互いに尊重することが求められているわけです。

次回は、ドイツでの学校現場の取り組みについてリポートします。

参考文献

・近藤孝弘(2005)『ドイツの政治教育 成熟した民主社会への課題』, 岩波書店
・小串聡彦、小林庸平、西野偉彦、特定非営利活動法人Rights(2015)「ドイツの子ども・若者参画のいま」

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